さんかくのうた

自分が制作した現代短歌をタイポグラフィ表現を用いて展開した。
短歌には作者と読者のそれぞれの感情に入り込み、作る人と受け取る人それぞれの感情に入り込み、それぞれの自分事に変換され受け取った人の数だけ形を少しずつ変えて気持ちを動かす力がある作品である。
今回、自ら制作した短歌の内容に合わせて、「惜しい」というときに用いられる△というかたちに焦点を当て、○や×と断定できない、△の人間を肯定できるような作品であれたらという思いを込めた。
真っ当に生きてきた、とは言えない。
今までの人生を採点するとしたら、わたしは、あなたは、あのこは、
全てに◯がつくものであっただろうか。
確かに◯ではなくて、否定をされたりもして、
でも、輝く瞬間はきっとあって、それを肯定して、
△のあなたのために、この歌たちはあると思う。
どうか、いつもより深く呼吸ができますように。
本研究では従来の短歌の枠組みから逸らした表現、言葉の展開方法としてのアプローチについて取り組んできたが、展示ベースで考案されたものであるという側面も持ち合わせており、他の場所などで同じようなものを同じニュアンスで展開できるかという懸念点もある。
「短歌のひとつひとつにフラットに向き合うにはどのようにすればいいか」
「一見わからないと感じるかもしれない詩歌の世界をさらに見つめることで、“わからない”からさらにもう一歩踏み込んでもらうにはどういったアプローチができるか」
というのは、私自身がこれまで考えてきたことであり、おそらく今後も制作にあたって念頭に置くであろうテーマである。
これまでの制作や思考を含めた今回の研究を踏まえ、短歌という言葉の芸術のおもしろさを追求し続けていくと共に、意図や世界観などがぶれることなく展開し続けられる工夫や新たな手段を今後も模索していきたい。