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『フェミニン』であって、feminineでない。 わたしがわたしであるためのジェンダーフリーファッション。
阿部美葉
学科・領域
プロダクトデザイン学科
コース
テキスタイル・ファッションデザインコース
指導教員
金石 浩一
卒業年度
2021年度



cuooly-きゅうり-
『フェミニン』であって、feminineでない。
わたしがわたしであるためのジェンダーフリーファッション。

【ジェンダー:生物学的な性別によって与えられた、社会的、文化的に作られる性別のことを指し、いわゆる女性らしさ、男性らしさと表される性差のこと】

(プレゼン文抜粋)

尻に敷かれる、という言葉の主語が大体男性になることに疑問を持ったことはないか?
男性が女性の尻に敷かれる。よくある表現だが、女性が男性の尻に敷かれると使われることはほとんどない。
これは、女は尻に敷くもの、というニュアンスまたは固定観念を含んでいるとも捉えることができるのではないか。

他にもまだ日本には根強い偏見やジェンダーギャップがある。

まず、女性の話をするが、もちろん男性差別についても考えていかなければならない。
男性に強さを求める、男だから泣くな、という考え方は変えていかなければならない。

日本の一般的なモテ
=いわゆる女性的であること
=それ以外はモテないという風潮。
一般的にモテ(身体の性別と性自認が一致した異性愛者の日本男性に受けがいい)とは、純粋無垢で気弱な女の子が当てはまると思う。
一歩後ろで男性を立て、男性が守ってやる立場にすることで男性のプライドを保持することが目的に感じる。

私はそのモテでよく用いられる、「フェミニン」なデザインが好きだ。

しかし、私の好きなフェミニンなデザインは、誰かのための「女性らしさ」なのか、?

違う。
feminineだから、女性らしいから、「フェミニン」と呼ばれるデザインが好きなのではない。好きなデザインがたまたま「フェミニン」であっただけ、なのだ。

そもそも、
何故、フリルやリボンが女性的なのか。
誰が決めたのか。
今の時代に強制力があるのか。
それに何の意味があるのか。

わたしはすごく疑問に感じる。

同時に、
そのモテが、男性が女性よりも強く在らなければ、男性自身を確立できないと、または女性受けが悪いと、思わせている状況がある。

結局のところ、ありもしない他人の視線(ジェンダー)で、男女両方の首を絞めているのだ。

かっこいい服、可愛い服、どちらも男女どちらかのものではない。
みんなが自由に選んでいい。
個人が心安らげる方を選んでいい。
その選択肢になれるような、服を制作したいと思った。

可愛いとかっこいいとジェンダーフリー

かっこいいとジェンダーレスは共存できるのに、
何故、可愛いはジェンダーレスと共存できないとされているのか?
それこそ、ジェンダーに縛られているのではないか?

☆作品のどこがジェンダーフリーなの?
右前左前の話、色の話。
そして、
かっこよさとシンプルさを極めたところだけがジェンダーフリーだとはわたしは思えないからです。
「男性化」する(男性に合わせること)だけが、ジェンダーフリーだとは思えないからです。
本当の意味でジェンダーがフリーになる時、それはそれぞれの意識が変わっていくことが大切だと思いました。なので、文章と合わせて、かっこよさと可愛さを混ぜたような五体を作りました。

☆何故ジェンダーフリーなのに、女性が着る服しかないの?
ジェンダーが社会的に後から作られる性差に対して、生物学的な性別(sex)があります。
骨格や肉付きは、(もちろん個人差があるものの、)大きいくくりとしては男女傾向があると考えています。(胸や肩幅、ウエストなど)
ですので、わたし個人としてはユニセックスは厳しいと思っております。
そして、元々、わたし自身(女性)の今まで受けた差別や偏見が今回の制作の原動力になっています。主体として女性差別をどうにかしたいと思っています。また、男性差別を主体としてどうにかしたい方が作品を作ることに説得力があるのだと思います。女性差別撲滅を叫ぶ人にその責任を負わせるのではなく、その方自身で制作し発表すればいいと考えております。

コンセプト文・衣装制作:阿部美葉
ロゴ制作:船木優菜さん
写真撮影:月田小夏さん