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噓と本当

及川佳帆
学科・領域
美術・工芸学科
指導教員
岡谷 敦魚
卒業年度
2021年度


二つの部屋は、私が認識する嘘/本当というものの関係を表現したものである。

「嘘」「本当」という言葉に対してどのような印象を持っているだろうか。本当とは【実際に起きたこと/あるいはそれを正確にとらえたもの】を表す言葉であり、嘘は【実際にはなかったこと/物事をもとにして作られた偽物】である、というイメージがあるのではないだろうか。二つの言葉は明確に区別できるもので、対立して存在しているように見える。 しかし、嘘と本当とは、明確な境界によって分かたれているものではなく、もっとシームレスで揺らぎのあるものだ。些細なきっかけによって嘘は本当に、本当は嘘に変化する。むしろ、嘘にも本当にもなり得る可能性を有している。(=嘘と本当が同時に存在する状況がある)

たとえを挙げるなら、私にとっての双子の存在である。自分にとって自分という存在は、本物、本当として認識されるはずだ。この世界に自分は一人しかいないのだから。だが、私は幼少期から、見た目や喋り方、考えまであらゆる面で自分そっくりの存在が近くにいた。また、周りの人はしばしば私たちを混同した。そのような、自分と周囲の混乱の体験から、「自分は自分の本物なのではなく、双子の偽物なのではないか。」と考えることもあった。その時に芽生えた噓と本当という事象に対する考えは、「本当か嘘かという規定は、自分の中にしかない。」「絶対的に正しい本当と、本当の正反対である噓など存在しない。」という考えへと成長し、今日の私の中に根付いている。

あらゆる出来事と、それに付随する人間の考えは、嘘/本当というたった2種類に分類することなどできないのである。そのような認識を、この二つの部屋と、飾られた作品で表現しようと試みている。 部屋もそこに飾られた作品も、様々な違いは存在するが、よく似たものになるようにしている。どちらが本当でも、どちらが嘘でもない。ただ、この空間を見た人によってそれらは決定される。またその決定は時間の経過や、何かしらのきっかけによって簡単に揺らぎ、変質するだろう。私が抱く「噓」と「本当」というものに対しての認識、それらのあいまいな境界と、それをとりまく緩やかな混乱を表現した。