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SUNRISE and OTHERS

「日常」という存在と写真表現
木谷 麻菜美
学科・領域
視覚デザイン学科
コース
伝達デザインコース
指導教員
山田 博行
卒業年度
2021年度


2020年。
爆発的に広がった新型ウイルスにより世界は混乱に陥った。
その時から私たちの生活様式に大きな変化をもたらした。 私は最初マスクをしている集団が怖く異質な感じに見えていた。しかし今となっては当たり前の存在になっている。

この経験から、日常とはいとも簡単に崩れたり変容していくということを改めて実感した。
今過ごしている日常は当たり前過ぎて普段私たちは意識せずに平凡に過ごしている。そのため時間が流れるのが早く感じる。
しかし、今感じている当たり前は今だからこそ存在して見えているのであり、実は数年後には非日常的な存在に変化するのではないだろうか。
私はこの時代だからこそ「日常」という存在を考えたいと意識するようになり卒業研究のテーマに設定した。

     

「間主観性」という概念がある。共同主観性とも言い、複数の主観の間で共通に成り立つことで、事物などの客観性を基礎づけるものとされている。「日常」もその概念と似ていて、複数の主観的な日常世界が一つの日常世界で共存し成り立っていると思った。また、広く考えてみると日常は私が生まれる前から存在している。それは死んでからも永遠に続く。私という存在は社会構造の中の小さな一人で、間主観性の世界の中で他人と関係性を持つという自明の現実を生きている。この考えから、私自身と他人と社会の関係性を作品に取り入れようとした。

そこで、私は主観的な日常を写真にとることにした。自分の今見えているものや環境は当たり前の存在かもしれないが、時が経てば今の当たり前はもしかしたら見えなくなっているかもしれない。写真にしたのは半永久的に風景を残すことができるからだ。 物として残すことで時を振り返ることができる。

撮影は全てフィルムカメラで撮影した。
理由は、一枚一枚大事に撮影したかったからだ。毎日同じ時間を繰り返しているように見えるが、日々生活は変化しズレが生じてくる。全く同じ重なりは帰らない。私は二度と帰らないその瞬間や事象の重なりを大事にしたいと思った。

撮り続けていく中で、私の日常がこうして存在している理由について考えてみた。それは他人との関わりだ。私はただ一人で世界の物事に意味を与えているわけではない。「私たち」 というかたちで共通の世界を作り上げている。つまり日常は私一人で形成しているものではなく、他人や世界からの干渉があって存在している。しかし時間が経つと違う他人の日常が干渉してきて私の日常の作りが変わってくる。それと同時に社会も変容していくのではないかと考えた。
そう考えると今という時間が愛おしく感じる。 今ある当たり前は他人との関わりという歯車が偶然重なって生まれた賜物であるといえるだろう。

写真集(全113ページ) A3

私はこの作品を 「SUNRISE and OTHERS」 とした。和訳すると「朝日と他人」だ。
日常を送る上で地球が誕生してから現在まで変わらないものがある。それは太陽だ。1日の始まりは必ず朝日が登ることから始まる。災害があろうと戦争があろうと太陽は上り沈み、そうやって社会は巡ってきた。私たちの日常も太陽とともに始まり、人生という物語を紡いできた。この作品も毎日朝日が登って紡いできた光景たちだ。なので朝日は日常の象徴だと考えた。その日々の中で他人と関わりながら社会を作り上げている。他人の存在も日常を生きて行く上でなくてはならないものだ。


この作品を通して、自らの日常を見つめ直し、今見えている当たり前の存在について価値を見出せるようなきっかけになってもらえたら幸いだ。