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ちぐはぐな”部分”は”生活者の都合”を許容する!?

- 土岐肥田旧丸宮陶器工場リノベーション計画 -
時吉 遼
学科・領域
建築・環境デザイン学科
コース
環境計画・保存コース
指導教員
津村 泰範
卒業年度
2023年度

「こうした断片的な出会いで語られてきた人生の記録を、それがそのままその人の人生だと、あるいは、それがそのままその人が属する集団の運命だと、一般化し全体化することは、ひとつの暴力である。 (…) 分析も一般化もできないような、それらの「小さなものたち」に、こちらの側から過剰な意味を勝手に与えることはできないけど、それでもそれらには独特の輝きがあり、そこから新たな想像力がはじまり、また別の物語が紡がれていく。」  出典:岸政彦(2015) 断片的なものの社会学 朝日出版社

岸雅彦は社会学者という仕事のなかで他人の語りを分析する際にそこからあふれてしまう全体化できない無用の断片に強く惹かれることがあると自身の著書のなかで語っている。2020年、私は大学を休学しその間の住まいとしてずっと空き家になっていたこの「旧土岐肥田丸宮陶器工場」を選んだ。

この場所は私の祖父母が生業としていた上絵加工の工房であり、また私の実の母が育った場所でもある。
一年間、私はこの建物に残った奇妙な” 部分” を感じながら生活を続けた。
「内部化した外窓」や「壁でふさがれて昇れない階段」などのトマソン化した建築の部分や見本室の天井上に大きな荷物が沢山置かれていたりなど、それは他人からすれば見過ごしてしまう部分かもしれないが、その無用な部分は祖父母がこの場所で仕事をし生活をしたという人間の営みの歴史を語っているように血の繋がった私には感じた。

それらは脈絡もなく断片的に存在し、人間が生活すること自体の美しさを私に問いているような気もした。

 

この建築に残された断片的に表れる「”人間の都合によってできた生活の痕跡”」を保存し、それらを全体に対する”ちぐはぐさ”として読み替え、” 新しい生活者の都合” による建築への介入を許容する住宅リノベーション計画である。