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abduction

音声メディアによる自己表現の研究
藤川 夏樹
学科・領域
美術・工芸学科
コース
美術表現コース
指導教員
小林 花子
卒業年度
2020年度

会場風景1

会場風景2

1 制作動機
あらゆるデータがデジタル化され、記録が永久に残ることになったことで居心地の悪さや味気なさを感じたことと、大切な記録をいつまでも残したいという相反する思いが、この作品を作ることとなった動機である。
私は「本来、この世界に永遠なる物質は存在せず、残るのはおぼろげな記憶のみである」という価値観を持ちながら生きてきた。しかし、メディア媒体の発達とともにモノの劣化が少なくなっていき、近年ではデジタル化されたデータとして記録を永久に残せるようになってしまった。私は、一瞬の記録が永遠に残ることへの疑問を捨てきれない。記憶や記録の情報は時間とともに風化していき、大切な記憶や記録が思い出となって残りつづける。情報は、「失われるから」こそ、強くなっていくものなのではないか。
このような価値観を持つようになったのは、私が10代で聴き馴染んだラジオの存在がある。私は小学生の頃からラジオをよく聴いてきた。当時、ゲーム機であまり遊べなかった私にとっての娯楽はテレビかラジオであり、家族で見るテレビと違い、ラジオは一人で聴くものだった。家庭の中で居づらさを感じた当時の私にとってラジオはかけがえのない存在だった。私が音による表現をしたいと思うようになったのも、ラジオを聴き馴染んでいたからだ。
ラジオは、電波の状況によって音にノイズが入る。私のラジカセは高価なものでは無かったので、常にノイズとの戦いだった。また、ラジオ番組をカセットテープに録音し、それを繰り返し何度も聴いていた。ノイズにより情報が失われていくことや、テープの劣化により聞こえにくくなるということを日常的に経験していく中で、音が劣化する(=情報が失われる)ことで自分にとって特別な価値を持つものに変わるということに気づいた。
しかし、高校に進学してスマートフォンを使えるようになったことや、時代の流れの中でインターネットが発展していく最中、だんだんとラジオを聴く機会も少なくなっていった。そして、私自身も音の表現においては、情報メディアの発達を受け入れ、いかに音質をよくするかということに重点を置くようになった。
 大学に進学後、自分の表現を模索する中で、私は音による表現を美術や芸術作品のなかに取り入れることができないかという試みを行ってきた。研究の当初は、最先端の録音機材を使い、場の臨場感を再現できないかという方向で制作を進めていた。
しかし、研究を進める中で、新型コロナウイルスの影響で日常を見つめ直すことになったことや、私が聴き馴染んだラジオ局が閉局するなど、転機になる出来事があった。身近にあった物や人との関係が当たり前ではなくなるという経験から、大切なものを永遠に留めておきたいという感情が湧いたことや、それは叶わないという現実に直面し、本作の制作を開始した。

2 作品概要
本制作では、失われる=劣化する物質として、カセットテープ(磁気テープ)にデジタル化されたデータを写すことによって、いつか失われる記憶を再現した。
カセットテープに自己の精神を反映した夢の記録、肉体を反映した食の記録がされており、そして私以外の誰かによって鑑賞された時に環境が作られることを想定している。これは精神と肉体、環境によって自分は形作られるという私自身の思想から来ている。
作品から流れている音は、私自身の肉声である。夢の記録では毎朝、自分が起きた時にその日見た夢を録音する。食の記録では、毎日私が食事をしている時の音を録音する。どちらもはじめはデジタルデータで記録し、その後、カセットテープに転写する。本作の中央に位置する装置から、それらの記録が再生される。
装置について説明する。回転する装置の左手側が私の過去、右手側が私の現在(または未来)を表し、巻きついているテープは私自身の過去の記憶を表している。テープ(記憶)が過去と現在を行き来し、今の自分を作り上げていく様子を表現する。
 何度も再生される自分の記憶をカセットテープとラジカセに重ね、だんだんと物理的に磨耗していくテープによって、情報が失われることで強くなる記憶を伝える。

3 制作の過程
本作は3年後期課題で制作した、「再生される記憶」と共通して、音を作品に取り入れることや、自己の内面を探っていくような制作を取り入れている。
制作を開始した4年前期では、行動が制限される中で、音の録音から始めることにした。最初の段階では長岡の町を歩いているときの音(サウンドマッピング)を行なった。登下校の道、駅までの道、運転しているときの音、家から外へ出るときの音、駅の構内の音など、自分にとって思い出の場所で記録した。
さらに、普段の生活を見つめ直す中で、日常性を記録できないかという試みで、音日記をつけた。雨の日の音、自販機の音、せんべいを食べる音、スーパーの店内BGMなど、何気ない日常の中で聴こえる音の記録を行なった。しかし、偶然性を狙って記録する事で、かえって偶然性が失われるという矛盾が感じ、日常を録音するためにテーマを絞る必要性を感じることになった。
音の記録をし続ける中で制作動機へと繋がり、3年前期に行った夢の録音と、さらに、今回は食事風景の録音を行うこととした。
作品の全体像を探る中で、音をアナログなもので再現したいと考え、自分にとって思い入れのある音の記録媒体である、カセットテープで作品を構成することに決めた。ラジカセやカセットテープと自分自身の思いを重ね、外観自体もラジカセのような構造を含むような形態となった。

4 制作を通して
録音を通して、自分の思いを明確にすることができたため、作品の内容は深まったのではないかと感じる。しかし、それを作品に落とし込む過程で、つまずく場面や、勉強になった部分が多かった。本作では、ラジカセのような構造を含むものとして、回転するような動作を取り入れる必要があった。そのため、モーターやプログラムなどの知識が必要となり、そこに多くの時間を割いてしまった。当初は音や記憶をテーマとした作品として出発したため、本来であれば、そこに対してウェイトをかけるべきであったと思う。作品への思いと、実制作への接続が上手くいかなかったことは、今後の反省としていきたい。
一方、自分の興味や、やってみたいことを諦めずに最後まで挑戦できたことは、自分の糧になったと感じる。卒業後、私は美術の教師として、通信制の学校で生徒に教えることとなる。私が赴任する学校では、プログラムを得意とする生徒が多い。私が本研究で学んだ、空間に対するアプローチの仕方や作品を制作する際の考え方、プログラムツールを取り入れた作品の制作技術などは生かせるのではないかと思う。
 今後、誰かに制作のアドバイスなどを送る際に、本研究の良かった点だけでなく失敗点も伝えていけたらと感じる。私自身の制作活動にも生かしていきたい。