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鐘楼門についての研究

高垣 未来
学科・領域
建築・環境デザイン学科
コース
環境計画・保存コース
指導教員
平山 育男
卒業年度
2021年度

楼門とは楼門の上層部に鐘が吊るされた門のことをいう。                                                      

建築形式は主に以下の4つである。

鐘楼門は楼門の2階部分に鐘を吊るすことで成り立つため、元の門の形状によって鐘楼門の形式が決められていったと考えられ、竜宮門形式に関しては楼門の下層部に漆喰塗籠の袴腰を取り付けることで成立したと考えられる。

インターネットを用いて全国の鐘楼門の件数を調査した結果、398基(1間の楼門形式:223基 3間の楼門形式:95基 二重門形式:37基 竜宮門形式:34基 その他:9基)が確認できた。                                                                           最も古いといわれている奈良県長岳寺の鐘楼門は1161年の建立ではあるが建立建立当初は鐘楼門ではなく、また、2番目に古い山形県洞雲寺の鐘楼門は吊るされていた梵鐘が1715年製であったため、鐘楼門という建造物は江戸時代から建立され始めたといえる。

各形式ごとに日本のどこに建立されているのかを見てみた。
1間の楼門形式は全国的に分布していた。
3間の楼門形式は東京、東海から中国地方に多く、比較的まとまっていた。これは1間の楼門形式と比べて門の規模が大きくなり、その分建築費用が掛かることから都市とその周辺に建立されたのではないかと考える。
二重門形式は東海と京都・大阪、北九州に多く、これは門に格式の高さによって建立地域が限られたのだと考える。
竜宮門形式は各地に点々と建立されていた。

形式と宗派の関係、形式と年代の関係、形式と年代の関係をそれぞれ見ていく。                                                

<形式と宗派>黄檗宗である寺院の鐘楼門は1間の楼門形式と竜宮門形式のみであることが特徴であるが、ここからは特段大きな関係性は見つけることができなかった。

<形式と年代>江戸時代初期から後期にかけて1間の楼門形式の数がとても増えている。また、それに比べて3間の楼門形式の乾隆は江戸時代中期がピークであった。
       これらのことから、江戸時代中期から後期に至り、鐘楼門が全国に広まっていくにつれてより簡易的な形式である1間の楼門形式が普及していったといえる。

<形式と年代>江戸時代初期までに建立されたものと江戸時代中期から後期に建立されたものに分け、地図に表してみると、はじめは主要な都市部に建立されておりそこから地方
に広まっていったことが判明した。

古代における寺院の役割は僧侶たちに時間を知らせるものであったが周辺に暮らす人々もその音を聞いていた。江戸時代に幕府が寺請制度(檀家制度)を定めたことにより、地域の人々はその地域の寺院に帰属し、一方で寺院は人々の積極的な協力のもと整備されていった。そして地域の人々と寺院の結びつきが強くなったことでこの江戸時代に鐘楼門は成立した。寺院の鐘の音は寺院のためだけではなく、地域の人々にも時を知らせるために門と鐘を一つにし、2階建てで上層部には壁を取り付けないことで寺院と地域の全体にまで音を響かせようとしたのだ。