記憶のリトグラフ
かつて農村だったこの土地は、宅地化によって個人の郷愁空間が破壊され続けてきたという特徴を持ちます。私も子供時代によく遊んだ空間にさまざまな思いを蓄積させ自宅から半径115mに秘密基地のような私の郷愁空間を構築していましたが、宅地化という行為により特別な空間が崩壊されという経験があります。
その時、入居者に恨みはないけれど、何か大切なものを奪われたような虚無感、利己的な嫌悪感が芽生えました。
ですが、懐かしさを感じるきっかけは人それぞれで、郷愁空間は誰の中にも存在し得るもの。私が悪とみなしてしまった新規参入者も現在進行形で郷愁空間を捉えている最中であり、その点において、私も誰かの侵入者であり個々人の郷愁の崩壊という小さな問題は至る所で発生してきました。
また、入居者は共同体としての意識はなく、逆に在住者は農村時代の名残でその思いが強く、先ほどの侵し侵されの関係と相まってお互いに混じり合うことのできない悪循環が生まれています。そして、繋がりの希薄さとアイデンティティの喪失という地域の問題に発展しています。
そこで、個々人が持つ郷愁空間について調べ、個的郷愁の共有部を知ることで、共同体としての認識を持たせ蟠りをなくすことを目標にリサーチを行いました。
また、郷愁空間を構築するものは、蓄積した記憶によるものであると位置付け、この記憶に伴う5つの要素と子供時代と馴染み深い四つの評価軸を元に分析を行いました。
そこから、公的郷愁はかつての会館に濃く現れていたことや、
破壊者の存在による愛着の芽生え、地域行事への不参加で公的郷愁の生成が行えていないことで在住者と入居者の溝が深まっていることなどを読み取ることができました。
建築提案
調査結果から得られた「破壊者による愛着の芽生え」・「公的郷愁の象徴であった会館の消滅」・「新規参入者の公的郷愁の不生成」という3つの事象を元に、個的郷愁を公的なものとするために、記憶の要素に特化した仮設建築と常設建築を用いた提案を行うことにしました。
仮設建築は「感情」に特化しており、建築において「火」という破壊者を確立させることで守りたくなるという思いからくる瞬発的な公的郷愁の生成を図ります。
常設建築には、「回数」・「動作」・「時間」に特化した新たな象徴となる3つの建築を計画し、日常生活の中で関わりを持ち長い時間軸での公的郷愁の生成を図ります。
RITO-GRAPH
そして今回、個人が持つ郷愁空間を建築に写し出す、版画のような行為で設計を行いました。
蓄積した記憶を丁寧に抽出し新たに描くことで、失われた空間を人々の記憶の中に留め地域の郷愁の堤防となる建築群の提案し、崩れゆくアイデンティティの継承を行う。これを石版画の行為になぞらえ、RITO-GRAPH(リトグラフ)と名付け、地域の特徴の一つである石という素材を用いて、在住者にとっては記憶を共有でき、入居者にとっては、歴史を知ることにつながる関係を作り出し互いの共有部を探ります。
回数に特化したRITO-MIKO
全面道路に面し、かつてのイネ干しの形態と、路地の凹凸空間を写し出しています。竹工房があり、ここをおとづれた人達が少しづつ仮設物を作る姿を見ることができます。
動作に特化したRITO-BUTAI
南に広場を有し、アイデンティティの一つである獅子舞の専用舞台として設計したものです。
竹がたわんだ様子を踏襲し、仮設建築とリンクさせた形態をとっています。舞台裏には竹を塩水にひたすための池があり、竹を干す姿など季節によって違う姿を見ることができます。
時間に特化したRITO-ENTEI
既存の擁壁を建築の内壁として利用し農村の空気感を写し出します。地下に雨水槽を有し、災害時にもトイレが使用でき安心基地としての役割も持ちます。
感情に特化したRITO-NDO
主な行事に合わせて、作る・使う・燃やすのフェーズで計画します。春から秋にかけて少しずつ構築されていき、その時々によって見える姿が変わることで子供を見守るようにみんなの郷愁の念をとどめていきます。10月に完成したRITO-NDOは、トンドで燃やされるまで使い手の記憶を蓄積させます。とんどの日、行事が行われる農地まで運び、敷地に暖かい風が流れ込むように配置します。
数ヶ月の記憶が蓄積したこの建築は、竹の鮮やかな音と共に人々の思いを昇華します。この時、同じ思いの公的郷愁の構築がなされ、何年後の未来も形は変わっても、地域の人たちの思いを昇華し同じ思いの蓄積がなされていきます。
日常の中や特別な日に構築される公的郷愁により在住者と入居者の噛み合っていなかった歯車は回り始めお互いの郷愁空間を知り、互いの空間を認め合うことでこの土地の小さな蟠りは解消され、この建築は郷愁の堤防としての役割を果たしていきます。遠い未来でも同じ思いの蓄積がなされていくことを願って。