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DOUGHNUT HOLES

飯塚 純
学科・領域
修士課程 視覚デザイン領域
指導教員
松本 明彦
卒業年度
2021年度


「Doughnut Holes」
127mm × 178 mm , Silver gelatin print , acrylic face mount

 


「8 holes in the box. – Mr.」
W335mm × D100mm × H150mm , Stainless steel HL

 


「8 holes in the box. – Krispy.」
W360 × D190mm × H57mm , Stainless steel HL

 

 

ドーナツの穴は被写体になるのか?
自らの実践知をとらえなおす作品制作実践について



飯塚純 Jun Iizuka


キーワード : ロラン・バルト、ドーナトロジー、ABR



*本文章は、飯塚純による修士論文『ドーナツの穴は被写体になるのか?-自らの実践知をとらえなおす作品制作実践について』(2022年)を基に要約したものです。





1.はじめに

私は「ファウンド・フォト」という手法を基軸として作品を制作するアーティスト( www.juniizuka.net)である。「ファウンド・フォト」とは、フリーマーケットや蚤の市で見つけた他人の写真を、収集・編集・再構成することで、新しい文脈や、その写真から何かを読み取った私の「まなざし」を表現した作品である。私が、「ファウンド・フォト」を用いる理由として、AI や合成メディアが作品を「生成」できる現代の状況がある。とりわけ、写真分野においては2010年以降、スマートフォン、SNSの普及と共に「写真」が取り巻く状況が大きく変化し続けている。私は、現代における「写真」の状況において、「ファウンド・フォト」の制作論は極めて需要なものであると考えている。なぜならば、「ファウンド・フォト」は、既存のメニューの選択の掛け合わせによってイメージが「生成」できる「アプリ」とは異なるからである。「ファウンド・フォト」とは、元となった写真の撮影者とは別の文脈を見出したアーティスト独自の「まなざし」や、新たな解釈、表現が入る。そのため、私にとって「ファウンド・フォト」を用いた作品は「生成」ではなく、「制作」である。しかし、私がこれまでに用いてきた「ファウンド・フォト」は、常に誰かが撮影したイメージを「見る」ことから制作への探究が出発している。私は「カメラ」を構えて眼前の光景を撮影してこなかった。そこで、すでにあった「写真」が撮影されたとき、そこにどのような「まなざし」があるのかを今一度とらえ直す必要があると考えた。それによって、自らの実践知が更新されると考察し、本研究に至った。



2. 研究方法

本研究は、ロラン・バルトの言葉に則って作品制作実践をもって研究する。なぜならば、私の「ファウンド・フォト」作品を制作するきっかけと、バルトが写真の本質を見出した写真経験が似ていたためである。バルトが見出した「写真」のノエマ、《それは=かつて=あった》という言葉を軸に、カメラを持たずに作品を制作してきた私が、眼前にカメラを構えて研究する。それは、常に「カメラ」で眼前の光景を撮影してきた「写真家」とは違う。また、私は「写真」について論じるが、実際に「カメラ」を構えて撮影しようとしている点で「写真評論家」、「批評家」、「歴史家」とも違う。その姿勢は、微妙な差にみえるかもしれないが、極めて重要な研究への姿勢である。また、撮影のテーマとして私は「ドーナツの穴」を選んだ。私は、『失われたドーナツの穴を求めて』(さいはて社, 2017年)という学際書籍に出会った。その著者のひとりである奥田太郎は、ドーナツにまつわる学問を「ドーナトロジー」と名付けた。私は、そこへ美術の領域から参与するため、作品制作実践を持って研究することにした。本研究は、他領域と接続し、知を深化させることができると考察する。



3.作品制作実践

当初は「ドーナツの穴は写真として撮影できるか?」と問いをたて、「ドーナトロジー」に挑んでいた。加地大介『穴と境界-存在論的探求』(春秋社, 2008年)によると「ドーナツの穴」は「依存的形相体」である。それは、「依存的対象であるドーナツの穴は、依存先であるドーナツが消失すれば当然なくなってしまう」ということである。また、『失われたドーナツの穴を求めて』(さいはて社, 2017年)の著者のひとりである芝垣亮介は「穴と呼ぶ空間は後から外力を加えてあけた空間」と定義づけている。私もこの定義に則って作品制作を実践することにした。


まず、「ドーナツの穴」をイメージとしてとらえようとした最初の試作品は、デジタルカメラで撮影したドーナツの画像の「ドーナツの穴」をビットマップ画像編集アプリケーションソフトウェア「Adobe Photoshop」で切り出し、PNGデータに変換することで、「穴」の部分だけを市松模様として視覚化させた。この市松模様は、「Adobe Photoshop」上で「透明」と言う情報を代替したものである。しかし制作過程において、「Adobe Photoshop」の共同開発者のトーマス・ノールのインタビュー記事に行き着き、この作品は「透明」を「市松模様」をただ単に代替したものに過ぎないと気付いた。次の試作品は、最初の試作品において市松模様部分となった「ドーナツの穴」の形を透明なアクリル板に切り出して、そのアクリルを複数枚重ねることで、ぼんやりとした「ドーナツの穴」のイメージを浮かび上がらせるものだった。しかし、これもまた「写真」としては捉えられていないように感じた。


2020年、小松佳代子が主催する読書会の場を借りて、私は『失われたドーナツの穴を求めて』(さいはて社, 2017年)の研究会を開催した。そこに著者である芝垣亮介、奥田太郎を招くことができた。その研究会の中で、「ドーナツの穴は写真として撮影できるのか?」という問いかけを、奥田からの助言で「ドーナツの穴は被写体になるのか?」に変更をした。その問いの形を変更したことにより、私は全く異なるアプローチへ接続することができ知の深化を感じることができた。こうして私は、ある日ドーナツを食べ終えた後に、ドーナツの下に敷いていたグラシン紙へ付着したドーナツの「痕跡」こそが「依存的形相体」、すなわち「ドーナツの穴」の「痕跡」でもあることに気が付くことができた。しかし、「ドーナツの穴は被写体になるのか?」という問いには答えていない。そのため、私は作品を発表し、その展示を振り返って「何をもって被写体としてとらえたといえるのか」を考察していくことすることにした。


作品「Doughnut Holes」は、一度撮影をしたグラシン紙の画像データを、「Adobe Photoshop」を使用し、色相、彩度、明度を調整することで、その「ドーナツの穴」の「痕跡」を、よりわかりやすく浮かび上がらせた。これはセコンド・ピアが「聖骸布」を撮影することで原物よりも細部の情報を現出させた逸話と同じ制作論を用いていたことが事後的にわかった。また、本作品は「ドーナツの穴」について想像を巡らせなければただドーナツの「痕跡」に他ならない。これによって「写真」とは本来、他者には共感できないかもしれない極めて私的な「まなざし」のかたちであることに気がついた。これは、「共感・共有」がキーワードとなるSNS上の「写真」とは異なった「写真」の本質的な強度であった。


また、作品「8 hole in the box.」は作品「Doughnut Holes」を制作している過程の中で、制作したものである。副題は箱のモデルとなった有名ドーナツチェーン店を想起させるものである。本作は一見、即物的なものに見えるかもしれないが『失われたドーナツの穴を求めて』(さいはて社, 2017年)の著者のひとりである佐藤啓介の論文「物質世界に穴が存在するための4つの分類」から着想を得て制作した。 佐藤によると「ドーナツの穴」は道具の「痕跡」である。また、「ドーナツ穴」は道具の「痕跡」であると同時に、くり抜かれたドーナツボールがいたという「痕跡」でもあるという。私は、「ドーナツの穴」をつくる道具、くり抜き機の素材であるステンレスでテイクアウト時に渡される箱を模造した。本作は、いわゆる「写真」ではないが、「ドーナツの穴」がつくられた物質世界を感じさせる作品として制作した。



4.研究結果

個展を終え、作品制作実践を振り返りながら「何をもって被写体をとらえたといえるのか?」を考えてきた。その結果、「ドーナツの穴は被写体になりえる」ことがわかった。本研究過程において「イメージの根源(アルケー)」である3つの神話「影(スキア)」、「痕跡、「水鏡」を「写真」に置き換えて考えていく中で、「写真」には「光の痕跡」を読み取ることができる「愛の(ような)まなざし」が存在した。「影(スキア)」の神話は戦地に赴く恋人を、せめて影だけでも写しとろうとした「まなざし」であり、「痕跡」は「聖骸布」の神話による「アガペー」によるもの、「水鏡」は「ナルキッソス」の神話による自己に向けられた「まなざし」であった。また、その「まなざし」の先にあるのは常に「光」であった。「影(スキア)」による神話は「投影(プロジェクション)」された「光」から「影」を摘み取るものであり、これは「撮影」である。「痕跡」による神話は「光と影の痕跡」であるため「写真」そのものであった。「水鏡」の神話は、とらえた「光」を「反射=反省(リフレクション)」させることができる「媒体(メディア)=作品」であった。



私は、「ドーナトロジー」に関わる研究者(ドーナトロジスト)へ届けたい「愛の(ような)まなざし=想い」によって、眼前の「痕跡」から読み取った「ドーナツの穴」の存在を写しとろうとした。それは《いま=ここに=ある》私にとっての「ドーナツの穴」の映像(ビルド)であった。バルトが見出した写真のノエマ《それは=かつて=あった》は、あくまで鑑賞者としての言葉だったが、私が「ファウンド・フォト」作品の実践者の立場で、改めて眼前に「カメラ」を構えた姿勢で映像(ビルド)をとらえようとした「まなざし」の本質は《いま=ここに=ある》である。これは、撮影者の立場でしか言表できない経験感覚に基づいたものである。よって、「ドーナツの穴は被写体になりえる」といえる。そして、私はこれまで用いてきた「ファウンド・フォト」という手法への実践知が更新された。「ファウンド・フォト」は、「光の文字(Photo-Graphy)」で綴られた「光の手紙(ラブレター)」を「翻訳し直すもの」であった。


5.今後の研究について

本研究の作品制作実践プロセスにおいて 「議論や他領域との接続」といった別のフェーズが加わったことで、これらが「芸術にもとづく研究 (ABR=Arts-Based Research)」であることに気がついた。今後は、この「ABR」の理解を深化させ、「ファウンド・フォト」作品の制作論を研究していく。


*本文章は、飯塚純による修士論文『ドーナツの穴は被写体になるのか?-自らの実践知をとらえなおす作品制作実践について』(2022年)を基に要約したものです。




【参考文献】
アルベルティ・バッティスタ・レオン『絵画論』, 三輪福松 訳, 中央公論美術出版, 1992年/ 飯塚純「作品 PHOTO GRAPH」『⻑岡造形大学 研究紀要』18巻, ⻑岡造形大学, 2021年/ 岩波書店編集部編集, 岩波映画製作所写真『レンズ』岩波書店, 2008 年/ イリイチ・イヴァン『シャドウ・ワーク-生活のあり方を問う』玉野井芳郎, 栗原彬 訳, 岩波現代選書, 1982年/ 大山顕『新写真論 スマホと顔』株式会社ゲンロン, 2020年/ 岡田温司『イメージの根源(アルケー)へ -思考のイメージ的展開』人文書院, 2014年/ 岡谷敦魚「Printerlyとは」⻑岡造形大学 美術・工芸科『美術・工芸の制作-教育-実践研究』2021年/ 奥田太郎「ドーナツとその穴にまつわる深い謎を学問する〜ドーナトロジーへようこそ」『失われたドーナツの穴を求めて』芝垣亮介・奥田太郎 編,さいはて社, 2017年/ 奥田太郎「ドーナツに穴は存在するのか」『失われたドーナツの穴を求めて』芝垣亮介・奥田太郎 編, さいはて社, 2017年/ 加地大介『穴と境界 ‒ 存在論的探究』春秋社, 2008年/ 小松佳代子「折り畳むことと、開くこととしての美術教育」『教育空間におけるモノとメディア-その経験的・歴史的・理論研究』, 東京藝術大学, 2021年/ コロミーナ・ビアトリクス, ウィグリー・マーク『我々は人間なのか?-デザインと人間をめぐる考古学的覚書き』牧尾晴喜訳,ビー・エ ヌ・エヌ新社, 2017年/ 佐藤啓介「ドーナツに穴から世界の成り立ちを覗く」『失われたドーナツの穴を求めて』芝垣亮介・奥田太郎 編, さいはて社, 2017年/ 芝垣亮介「私たちは何を「ドーナツの穴」と呼ぶのか」『失われたドーナツの穴を求めて』芝垣亮介・奥田太郎 編, さいはて社, 2017年/ シュティーグラー・ベルント『写真の映像 ‒ 写真をめぐる隠喩のアルバム』竹峰義和, 柳橋大輔訳, 月曜社, 2015年/ ストイキツァ・ヴィクトル『影の歴史』岡田温司, ⻄田兼訳, 平凡社 , 2018年/ セクンドゥス・プリニウス・ガイウス『プリニウスの博物誌 -第 34 巻〜第 37巻-』縮刷版VI , 中野定雄, 中野里見, 中野美代 訳, 雄山閣,2012年/ バルト・ロラン『明るい部屋―写真についての覚書』花輪光訳, みすず書房, 1985年(Barthes Roland, La chambre claire : note sur la photographie(Cahiers du cinéma)Gallimard , 1980) / 浜野志保『写真のボーダーランド‒ X 線・心霊写真・念写』⻘弓社, 2015年/ 前川修『イメージを逆撫でする 写真論講義 理論編』東京大学出版会, 2019年/ 松本明彦「スマートフォンとアプリとSNS 中心の写真教育が新しい時代の写真家を育てる」慶応義塾大学, 博士論文, 2021年/ 港千尋『書物の変‒グーグルベルクの時代』せりか書房, 2010年




飯塚純 Jun Iizuka
美術家。1987年新潟県生まれ。 主な展示として、「DOUGHNUT HOLES / Gallery Yukihira(2021)」、「An Awakening Photography / 東京芸術劇場 galleryII (2019)」、「新章風景#2-現代における風景写真の在り方-/東京都美術館(2017)」や「REPHOTOGRAPH/BOOKS f3(2016)」、「新章風景-現代における風景写真の在り方-/ターナーギャラリー(2015)」などがある。主な出版物として、「THE LAST DRIVE」「STARDUST」「REPHOTOGRAPH」(全てDOOKS出版)など他多数。2018年には、Tai Kwun (香港) アーティストライブラリーにて「REPHOTOGRAPH JUL.2016」、「FOREST MEMORY GAME」が収蔵。

Web:https://www.juniizuka.net/


主な研究業績https://researchmap.jp/juniizuka



©️Jun Iizuka