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彫刻の〈実材論〉

素材による作り手の思考とイメージの生成
竹本 悠大郎
指導教員
小松 佳代子
卒業年度
2022年度

1.本論文の目的と背景

 彫刻のなかでは「実材」という言葉があります。この言葉は、美術大学のシラバスに使われるほど一般的に用いられています。ですが、素材とは違ってあえて「実材」という言葉を用いている理由は、はっきりとしていません。本論文は、この「実材」という言葉の背景にある、作り手にとっての素材の役割を明らかにしました。
 先に結論を述べると、私は作り手が、制作のなかでの自分の思考や判断を問い直し、やり直し、引き受けるための「時間」をつくり出す素材が、「実材」であると考えています。そして、私にとってはそういった自分のイメージに向き合う「時間」をつくる「実材」が、乾漆です。
 本論文では、この「実材」との関係において生じる作り手の思考とイメージが生成されるプロセスを明らかにすることを目的としました。こういった制作過程での作り手の思考や探究は、これまで論じられることが少なく、ブラックボックスとなっています。これからの彫刻の展開のためにも、このブラックボックスを「実材」を軸に論じる必要がありました。

2.「実材」と作り手のイメージとの関係

 「実材」という言葉にある彫刻制作者の思考や感覚を明らかにするために、次のような章を構成しました。本論文は序章と結章と本文5章で構成されています。
 「第1章 本論文の特徴と方法」では、個人的な彫刻制作の経験を研究として論じるための方法を検討しました。
 「第2章 彫刻制作における素材の位置づけ」では、明治期の近代化がもたらした内面の発見に焦点をあて、「実材」という言葉が誕生する要因となった近代日本彫刻の成立とそれによって生じた問題を論じています。
 「第3章 素材からみる技法と表現の展開」では、「実材」が単なる材料以上の働きをもつとはどういうことなのか、乾漆制作で用いられる麻布をめぐる人々の生活と歴史に注目して考察しています。
 「第4章 素材の働きをめぐる作り手の思考」では、実際の彫刻制作の場面で、素材に向き合うときの作り手の思考について考察しました。
 第2章~第4章の考察からは、作り手のイメージに「実材」が深くかかわることが見えてきます。そこで、ここまでの議論をもって、作り手のイメージの生成に「実材」がかかわるプロセスを明らかにしたのが第5章「「実材」によるイメージの生成」です。
 第5章では、先ず6冊の技法書から、彫刻において「実材」がどのように捉えられてきたのか確認しました。ここでは、1967年に刊行された技法書において、石彫家・塑造家の舟越保武が「実材」について述べた言葉に注目しました。舟越は石彫制作の過程でデッサンが狂ったことを紹介し、「永年やっていてもしばしばこんなことになるのです。実材は油断ならぬものです」と述べています。この舟越の言葉と作品を手掛かりに、私自身の乾漆制作を振り返ってみると、「実材」が作り手のイメージに敵対することもあるような存在であることが見えてきます。こうした自分の想い通りにならない「実材」に向き合うことで、作り手は、自分の描いているイメージと目の前の形とのズレに気付きます。そして、両者を合致させていこうと思考する「時間」が生まれます。
 重要なのは、自分の思考や判断を問い直し、やり直し、そして引き受ける「時間」を経て、イメージが明確になっていくということです。こうした、作り手の内面に描かれたイメージから作品の完成へと直線的に進む「時間」、とは異なる「時間」をつくり出すのが、彫刻制作における「実材」であり、私にとっての乾漆なのです。

3.本論文の方法と彫刻の〈実材論〉の射程

 第5章で「実材」を取り上げるに至るまでに、本論文では様々な分野の議論へと迂回してきました。第2章では近代日本彫刻史の成立過程を問うために、高村光太郎の作品と詩の変遷や、仏像や人形についての考察から彫刻概念の区切れなさを論じ、第3章では麻布をめぐる人々の生活や歴史に注目しました。第4章では、小説や哲学、教育にかかわる議論を参照しました。
 こうして辿ってきた道程を振り返ると、本論文が彫刻制作を近代彫刻のなかだけでは考えていないことに気付きます。この彫刻に限らない分野への迂回こそが、本論文の特徴です。
 「迂回する」方法は、自分の制作を根拠に、他者の作品や言葉、歴史や文献を読むことで、自分の思考がどのような普遍的な問いに基づいているのか自覚していくためのものです。制作者による研究という特徴をもつ本論文が、個人的な制作経験から普遍的な問いを見出すために立てられました。そして、この彫刻制作における作り手と素材との関係性を、彫刻のなかだけで考えていない射程の長さが、本論文の提示する彫刻の〈実材論〉の独自性です。
 本論文の考察は個人的な制作経験に基づいています。ですが、その考察は、人間中心主義への疑いと、効率性や合理性のもとにある近代的な「時間」への批判という、人間が生きるということにかかわる本質的問題に触れています。このように彫刻を作るということは、人間が何かを作って存在するとはどういうことか、ということまで意味しています。彫刻の〈実材論〉は、こうした近代が見失った生きるための「時間」を取り戻すための論文です。