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中庸に対する大多数の理解と共感 芸術家と芸術鑑賞者のconvergence(収束)

王潤澤
学科・領域
修士課程 美術・工芸領域
指導教員
遠藤良太郎
卒業年度
2022年度

中庸に対する大多数の理解と共感

芸術家と芸術鑑賞者のconvergence(収束)

美術・工芸領域

225002

王 潤澤

Wang Runze

研究指導教員:遠藤 良太郎

本論文は、マルクス主義哲学の理論的な考え方により、芸術家や芸術鑑賞者にとっての中庸の理念が、芸術の発展においてどのような役割を果たすのかを検証した論文である。時代を経て発展してきた中庸な物事の美的な価値を、私は高齢労働者というイメージを通して表現している。私は、すべての人は労働や老いに対する理解が類似性があると信じている。例えば、私の理解で労働とは、人が自身の知識、経験と体力を使い、価値を作る行動だと考える。そして、老いとは時間に伴い、知識と経験が増えているが、体力を減らす過程だと考えている。一般鑑賞者は労働と老いに対する考えが私の考えを完全に否定すると考えない。それは老い、労働によってもたらされる普遍性だと考える。この普遍性を利用して、芸術家と芸術鑑賞者の美に対する認識力の差を縮めようと試みた。

 第一章では、マルクス主義の哲学における芸術の的理解と、芸術と社会の発展におけるいくつかの問題についての私自身の推敲に主眼を置いている。

マルクス主義の中の芸術に対する理解は上部構造、すなわち、社会的な制度とか、組織および意識形態やイデオロギーの一部だと思われている。下部構造とは、社会発展のある段階において優勢な生産関係のあらゆる側面の総合を指す。それに対して上部構造とは生活が豊かな人々を基礎として、それの上に発展されるものである。歴史唯物主義と歴史唯心主義を分ける哲学問題を通して、自分の考えを作品に組み込むことが、世界や社会に対するある種の考えを伝えるよりも重要と思う芸術家たちの歴史唯心主義の考えを反映する。そして、私自身が近代社会制度の様々な矛盾の中で、芸術な考えと役割を話す。

第二章では、まず、唯物史観の理解の仕方を通して芸術の発展の歴史を整理し、芸術の発展における芸術家の役割を判断する。マルクス主義の唯物史観では、往々にして人の階級がその行動の基盤となると考えられている。この考え方に基づき、芸術家に属する階級は通常、知識人を代表する中産階級であるが、社会の進展に伴い、鑑賞者の集団は統治階級から全階級へと変遷し、所属する階級を明確に区別できなくなった結果、階級に基づく芸術の発展は複雑になった考えているのではないだろうか。

芸術の発展の根本的な原動力は芸術家にあるのか、それとも芸術鑑賞者にあるのかを判断する。そして、私自身が理解する社会の現段階における芸術権利の発生と使用に対する説明である。芸術において、最も大きな権利は疑いなく美の解釈権であり、あるいは「何が美であり、何が芸術であるか」と、それによって発展した美学の体系、美に対する認識、および芸術産業の価値である。この権力は、最も簡単には取り戻せるが、同時に最も難しい取り戻せると考えている。理由は人々の認識を変えることであり、過去の経験と教訓から得られた思考に対して否定的な見解を持たなければならない。私は思想の変革が物質の変化よりも適応が難しいと考えている

最後に、なぜ芸術が国家にとって必要なのか、社会にとって重要なのかを分析しながら、国家と社会にとっての芸術の必要性と重要性について説明する。

 

 

第三章では、まずアンケート調査と審美テストを行った。 アンケート調査は、主に社会の大半を占める美術鑑賞者が、美術の発展について理解していることと、美術とは何か、生活の中で具体的にどのような場面を芸術と見なしているのかを調査するものである。

詳しい質問が五つある。

 質問1 「今後の芸術の発展の方向を決めるのは、プロの芸術家だと思いますか。それとも一般的な鑑賞者だと思いますか。」

 質問2 「初めて「これが芸術だ」という驚きの声を出した時は、具体的にはどの状況ですか。」

 質問3 「あなたの未来の芸術の表現形式はもっと「具象的/抽象的」だと思いますか。」

質問4 「あなたは、美術館に展示されている作品と地下鉄の通路の両側にある作品とどちらがより芸術という概念に合うと思いますか。」

 質問5 「悲しい子供時代や少年時代を過ごした芸術家が多くいます。幸せな人生を楽しむ人は芸術家になれると思いますか。」

 そして、審美テストは歴史的に有名な芸術家の作品と学生の似たタイプの作品の写真を一緒に置いて、鑑賞者たちが主観的にどちらがより美しいかのを判断するテストである。審美テストの目的は、一般的な美術鑑賞者と専門の芸術家との美に対する認識力の差がどの程度あるのか、また、ある程度の芸術の創造能力を持った学生と、専門の芸術家とのギャップが一般的な美術鑑賞者から見てどの程度あるのかを調べるためのものである

中庸という極めて東洋的な考え方を通して、芸術の発展の未来を考えてみる。物事における芸術性と効率性の比べについて一般的な判断が下される。最後に、芸術家と芸術鑑賞者の美に対する認識力の差を縮めるという問題の解決策の説明である。漢字の抽象的で普遍的な性質を利用して芸術を創造する。また、この考えに基づいて作品を制作した作品の発表と説明である。